近頃の牧師は「キリスト教はもつと積極的でなければ」等といつてゐる。そんな牧師はみな間違つてゐる。自我を自分だと思ひこんでゐるその自我を、抑へる所か、逆に自我を野放しにして、無明を奨励する結果になつてしまふ。生涯かかつてキリストにすがれといつてゐる牧師だけが正しい 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
自我を自分と思つてゐると、自分は肉体が死ねば死ぬものとしか思へない。また死に対する恐ろしさを必ず感じる。これに対して真我が自分だとわかると、悠久感が伴ひ、実際の季節の如何にかかはらず春の季節感が必ず伴ふ。この真我が、前にいつた生命のことなのである。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
私はこんな詩歌[土井晩翠「星落秋風五丈原」]が昔から大好きで、高校生時分によく大声で朗唱しながら京都の街を散歩した。今の高校生、大学生も、時々はかうした歯切れのよい詩で、気持を高める歌を朗々と唱するのが必要ではないだらうか。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
問題児が四割といふのは父母が悪い子を産んだのであつて、その子達はより悪い父母に成長し、更に悪い子を産むだらうから、放任すればこの四割といふ比率は増大するだらうし、内容的にも悪質になつていく。こんな事態になつたのは一重に、種族保存の本能を享楽の具と考へた為であらう 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
私はこれまで、ものの欠点を探すといふ意味での「批判」はきらひだといつて来たが、欠点を探してはいけないなどといはずに、文化の現状を正視して、いけないところを指摘し、消し去るのは、非常に大切なことではないかと近ごろ思つてゐる。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
【本棚登録】『春風夏雨 (角川ソフィア文庫)』岡 潔 https://t.co/y74nm6dSoy #booklog
—daijyu TAKEISHI (@daijyu)
戦後は、法律が改められて個人主義的となり、法律の各人に課する制約は二歩も三歩も後退した。だから各人はこれに代つて、自由意志による自我本能の抑止を二歩も三歩も前進させなければ、そこに大穴があいてしまつて、どんなものでも心の中へ通り得るやうになつたわけである。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
戦後は、法律が改められて個人主義的となり、法律の各人に課する制約は二歩も三歩も後退した。だから各人はこれに代つて、自由意志による自我本能の抑止を二歩も三歩も前進させなければ、そこに大穴があいてしまつて、どんなものでも心の中へ通り得るやうになつたわけである。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
自我を自分と思つてゐると、自分は肉体が死ねば死ぬものとしか思へない。また死に対する恐ろしさを必ず感じる。これに対して真我が自分だとわかると、悠久感が伴ひ、実際の季節の如何にかかはらず春の季節感が必ず伴ふ。この真我が、前にいつた生命のことなのである。 春風夏雨/岡潔
—浪曼派bot(陸) (@roumanha6)
