「純粋理性批判」
—マグダラなマリアbot (@magudarabot)
純粋理性批判むずすぎや
—なおみん♡ (@pop_and_sweet)
・利己的な遺伝子 ・純粋理性批判 これはできれば今年度中に呼んで理解したい
—rose (@Lily41231483)
そう考えると、間違った原則にそそのかされて、反省概念の両義性を発生させた誤謬の原因を解明する作業には、知性の領域を確定し、この領域を守らせるという、大きな利益が存在するのである。 (カント『純粋理性批判』365)
—宗教・哲学・文学bot (@hys3go)
@hazupisu 本とカント好きなら入門書じゃなくて「純粋理性批判」とかカントが書いたやつの翻訳版読むのもオススメです お大事に
—たろう (@YndUec19)
@ni_no5 カントの残した偉大な書物、(『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』)また、永遠平和のために、を研究し、理解し、実践していくことによって人類は次のフェーズにいける可能性があるにも関わらず。100年ないし200… https://t.co/4KK6Xutm6U
—ぱんだ (@SptRa1kd7nFHrFV)
“蓋然的”判断は、その肯定もしくは否定がまったく“可能的”(任意的)と見なされるような判断である。(〜)蓋然的命題は、論理的可能性(客観的可能性ではない)を表現する命題に過ぎない。 純粋理性批判148
—カントbot (@kant00bot)
表象が空間および時間の関係において、経験的統一の法則に従って結合せられ規定せられると、それは対象と名付けられる。 純粋理性批判事項索引116
—カントbot (@kant00bot)
近頃、自分が実学に偏り過ぎているから〈純粋理性批判なるもの〉を読まなければならないなと。一方書物としての『純粋理性批判』は実学に心を傾けている私にはあまりにも手の届かぬ尊ぶべき存在になってしまった。触れてしまうと実学をすることすらがバカらしくなり、身が入らなくなってしまうだろう。
—HAYATE by JILLSTUART (@hayate_whitecat)
経験は、何か或るものが事実としてしかじかであるということを教えはする、しかしそのものが『それ以外ではあり得ない』ということ〔必然性〕を教えるものではない。 純粋理性批判56
—カントbot (@kant00bot)
“蓋然的”判断は、その肯定もしくは否定がまったく“可能的”(任意的)と見なされるような判断である。(〜)蓋然的命題は、論理的可能性(客観的可能性ではない)を表現する命題に過ぎない。 純粋理性批判148
—カントbot (@kant00bot)
ということで、急いで『カント純粋理性批判』を通読する必要はなくなったので、まずは入門します。良いタイトル。 自分で考える勇気/御子柴善之 https://t.co/M67FZiw4kj
—親ばか くん (@manabee6)
表象が空間および時間の関係において、経験的統一の法則に従って結合せられ規定せられると、それは対象と名付けられる。 純粋理性批判事項索引116
—カントbot (@kant00bot)
カント(1724‐1804)ドイツの哲学者。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』
—荒野のペンギン (@penguin_862)
【5月13日発売】 『カント講義』(高峯一愚著 論創社) 【Amazon紹介文】「『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の世界に分け入り。豊富な実例にそくし平易にカント哲学の全体と神髄を解き明かす!」 【Amazon】→ https://t.co/GllCBdJf9v
—哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan)
