この「縮小の遠近法」ですが、消失点から放射される「線」によって作図されるという性質があり、そのため「線遠近法という別名もあります。遠近法の理論の中でも、最も論理的に探求されてきたものでもあります。 遠近法がわかれば絵画がわかる33
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
遠近法の直交線が一つの点になる消失点というのは、現実の世界には存在しないのです。消失点を設定しても、さらにその向こうには、無限の奥行きが広がっている。それが、この世界の姿なのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
つまり、一つの点に収斂する消失点という到達点によって終わる世界の、さらにその向こうに別の世界が広がっている、ということになります。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
ですから線遠近法で捉えられた、奥に向かって消失点として三角形の頂点となるような空間は、じつは「世界の空間の一部」ということになります。遠近法が捉えた世界の、その向こうにも世界があるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
線遠近法では、はるか遠い空間を描くことができないのです。線遠近法にも、限界があるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
では、線遠近法というのは、目のどのような生理と対応したものなのでしょう?結論を言ってしまえば、単眼視です。線遠近法の世界とは、一つの目で見たときに知覚できる情報によってつくられた遠近や立体、深さの捉え方なのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる76
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
ともかく人間は、どうやら手足の届く範囲くらいの空間は、両眼視によって立体を把握している、と言えそうです。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
ちょうど手足が届くくらいの距離に、目に見えない透明な膜のようなものがあって、その膜の内側の世界では両眼視で立体と遠近を把握し、膜の外側では単眼視(=線遠近法)によって遠近を把握している。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
つまり私たちは、近景から中景、遠景へと、世界がひと連なりになっているように思っていますが、じつは近くにある空間とその先にある別の空間を、ちがった仕方で認知している。私たち人間は(あるいはサルも)、二つの立体空間を見ているということになるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
→遠近法、つまり空間の奥行き、ということで言いますと、二つの目では、近い距離にある立体(=遠近)を見ています。一方、一つの目では、ある程度以上(たぶん手が届かないくらい)遠いところにある遠近を見ているのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる80
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
遠近法に関して、中世の美術では一体何が起こったか?それをパノフスキーは、「遠近法の観念の解体」という。古代から中世への移行というのは、美術表現においては、遠近法が解体していく過程でもあったというのだ。 遠近法がわかれば絵画がわかる148
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
遠近法というのは、その時代ごとの何かの象徴であり、それがどのような象徴であるかということを明らかにするのが、パノフスキーの『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』が目指すところである。 遠近法がわかれば絵画がわかる160
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
ルネサンスにおける遠近法は、消失点によって何かを象徴している(〜)その消失点とは、「すべての線を一つに収斂させる」ものだという。このことをパノフスキーは「統一性」という言い方でも表現している。あるいは「体型空間」ともいう。 遠近法がわかれば絵画がわかる160
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
(中世→ルネサンスという過程で生じた絵画における遠近法の変化とは)「集合空間から体型空間への偉大な発展」 遠近法がわかれば絵画がわかる160
—勉強用BOT4 (@harukaka00000)
遠近法とは、遠の方法だけでも、近の方法だけでもない、「遠近」の方法なのです。これはパースペクティブの、より本質的な一面を言い当てていると思います。 遠近法がわかれば絵画がわかる166
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この「縮小の遠近法」ですが、消失点から放射される「線」によって作図されるという性質があり、そのため「線遠近法という別名もあります。遠近法の理論の中でも、最も論理的に探求されてきたものでもあります。 遠近法がわかれば絵画がわかる33
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遠近法の直交線が一つの点になる消失点というのは、現実の世界には存在しないのです。消失点を設定しても、さらにその向こうには、無限の奥行きが広がっている。それが、この世界の姿なのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
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つまり、一つの点に収斂する消失点という到達点によって終わる世界の、さらにその向こうに別の世界が広がっている、ということになります。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
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ですから線遠近法で捉えられた、奥に向かって消失点として三角形の頂点となるような空間は、じつは「世界の空間の一部」ということになります。遠近法が捉えた世界の、その向こうにも世界があるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
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線遠近法では、はるか遠い空間を描くことができないのです。線遠近法にも、限界があるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる74
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では、線遠近法というのは、目のどのような生理と対応したものなのでしょう?結論を言ってしまえば、単眼視です。線遠近法の世界とは、一つの目で見たときに知覚できる情報によってつくられた遠近や立体、深さの捉え方なのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる76
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ともかく人間は、どうやら手足の届く範囲くらいの空間は、両眼視によって立体を把握している、と言えそうです。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
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ちょうど手足が届くくらいの距離に、目に見えない透明な膜のようなものがあって、その膜の内側の世界では両眼視で立体と遠近を把握し、膜の外側では単眼視(=線遠近法)によって遠近を把握している。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
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つまり私たちは、近景から中景、遠景へと、世界がひと連なりになっているように思っていますが、じつは近くにある空間とその先にある別の空間を、ちがった仕方で認知している。私たち人間は(あるいはサルも)、二つの立体空間を見ているということになるのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる79
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→遠近法、つまり空間の奥行き、ということで言いますと、二つの目では、近い距離にある立体(=遠近)を見ています。一方、一つの目では、ある程度以上(たぶん手が届かないくらい)遠いところにある遠近を見ているのです。 遠近法がわかれば絵画がわかる80
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遠近法に関して、中世の美術では一体何が起こったか?それをパノフスキーは、「遠近法の観念の解体」という。古代から中世への移行というのは、美術表現においては、遠近法が解体していく過程でもあったというのだ。 遠近法がわかれば絵画がわかる148
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遠近法というのは、その時代ごとの何かの象徴であり、それがどのような象徴であるかということを明らかにするのが、パノフスキーの『〈象徴(シンボル)形式〉としての遠近法』が目指すところである。 遠近法がわかれば絵画がわかる160
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ルネサンスにおける遠近法は、消失点によって何かを象徴している(〜)その消失点とは、「すべての線を一つに収斂させる」ものだという。このことをパノフスキーは「統一性」という言い方でも表現している。あるいは「体型空間」ともいう。 遠近法がわかれば絵画がわかる160
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(中世→ルネサンスという過程で生じた絵画における遠近法の変化とは)「集合空間から体型空間への偉大な発展」 遠近法がわかれば絵画がわかる160
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遠近法とは、遠の方法だけでも、近の方法だけでもない、「遠近」の方法なのです。これはパースペクティブの、より本質的な一面を言い当てていると思います。 遠近法がわかれば絵画がわかる166
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