私たちのロシアの遺産の中で最もしぶとく生き残ったのが旅行鞄であったという事実は、論理的かつ象徴的である。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
ケンブリッジの自室で目をひりひりさせながら、暖炉のそばで瞑想していると、熾火に、孤独、そして遠くで鳴る鐘の音という、その強力な凡庸さが押し寄せ、ちょうど飛行士の顔が途方もない飛行速度のために歪むように、私の顔のたるみまでも歪ませた。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
螺旋とは魂を吹き込まれた円である。螺旋の形になると、輪がはずれてほどかれた円は悪循環に陥ることをやめる。解放されたのだ。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
人間の意識、一個人の記憶、そして言葉によるその表現に比べれば、宇宙とはいかにちっぽけで(カンガルーの袋にもすっぽり入りそうだ)、いかにくだらなくけちくさいものだろうか!─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
私たちは霜が降りて白いレース編みのような公園の通路を歩いた。冷たいベンチで身を寄せ合うこともあった──まずベンチに綺麗に積もった雪の覆いを取り、それから雪が鏤められた手袋を取って。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
胸襟を開いた話、ドストエフスキイ流の告白というのも好みではない。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
旅芸人の一座が、まだ各自の台詞を憶えていられるかぎり、どこへ行っても、風吹きすさぶヒースの荒野や、霧に包まれた城や、魔法の島を携えているのと同じで、母は魂が蓄えたものをすべて携えていた。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
死を知らない者と成熟を知らない者にとって無上の喜びである想像力は、制限されねばならない。人生を楽しむためには、あまり楽しみすぎてはいけない、というのだ。私はこうした状況に反旗を翻す。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
小さなガラス玉に封じ込められている色のついた螺旋、これが私の目から見た私の人生である。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
アメリカは他の国よりも私の携網活動に病的な関心を示してきた──おそらくは、アメリカに住むようになったのが四十代のときで、人間というものは歳を取れば取るほど捕虫網を手にしている姿が奇妙に見えるからだろう。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
螺旋とは魂を吹き込まれた円である。螺旋の形になると、輪がはずれてほどかれた円は悪循環に陥ることをやめる。解放されたのだ。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
万国の労働者よ、解散せよ! 旧約聖書は間違っている。世界は日曜日に作られたのだ。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)
その柄付き眼鏡を私は後になってボヴァリー夫人の手の中に発見することになり、さらにその後にアンナ・カレーニンがそれを所有し、それからチェーホフの小犬を連れた奥さんの手に渡って、最後にはヤルタの桟橋で失われてしまうのだった。─『記憶よ、語れ──自伝再訪』
—ウラジーミル・ナボコフ (@VNabokov_b)